異なりを認めつつ一つを共に生きる」という「和」の考え方・・・

この考え方を生み出した、日本の文化はなんと素晴らしいのでしょうか。

この「和」の精神で皆が生きていくならば、家庭・職場・地域は、とてもやる気に満ちた充実感や信頼感など、様々なものを私たちに提供してくれることでしょう。

個人の誕生のプロセスを見ると、この通りの「和」の精神にのっとり、私たちが生まれてきたことがわかります。

精子と卵子が結び付く。受精卵が誕生するわけです。

ここに異なりを認めなければ、受精することはないでしょう。

そして、ともに一つを生きるためにお互いがお互いの個性を合わせて、すなわちそれぞれの染色体が融合し遺伝子が誕生する。

この遺伝子の設計図にのっとって、細胞分裂が始まってゆく。一つの受精卵が二つになる。

ここに創造が始まってくるわけです。

精子と卵子が異なりをお互いが認めて、一つを生きようとすることから創造が始まったわけです。

受精卵の細胞分裂がある程度進み、みな同じ細胞なんだけど、ここにも見事な和の精神が働きます。

この時の細胞は、なんにでもなれる細胞であるのに、全体を創造していくために分業・専門が始まります。

心臓になる細胞・腸になる細胞・骨になる細胞・脳になる細胞・皮膚になる細胞・・・と、異なりをわざわざ作っていくのです。

すなわち異なりがなければ、小さな全体も大きな全体もできてこないわけです。

そして、それぞれの臓器などができてきて、生まれてくるころには、すべての内臓諸機関や人体が形成されて誕生してくるのです。

それぞれの異なりを認めた臓器、自分の個性を生かしながら、しかし他の臓器と関係性を保って、私たちの内なる自然はあなたという全体を生かすために、24時間働いてくれているのです。

ここに私たちの身体は「異なりを認めつつ一つを共に生きる」という「和」の精神により生み出されたことが理解できると思います。

そして、その和の精神により生かされている「あなた」という全体は、家庭などの集団や社会からすれば、今度は個・部分になるわけです。

自然の摂理からすれば、「あなた」は、自分を取り囲んでいる人的環境のために、他人と異なりを認めつつ、一つを生きなければならないのではないでしょうか?

そして自分を包括している集団のために一つを共に生きることが、よりよく「あなた」が、生きる賢明な選択になるのではないでしょうか?

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長文をお読みくださり、ありがとうございました。何か考えるきっかけになれば幸いです。